死、というものについて少々

投稿者: | 2013年2月19日
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本日は久しぶりの日記でありながら少々重たい話になりそうなので、重たさに耐え切れなさそうな人はさっさとこのブログを去っていただくのがよろしいかと存じます。

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死生観、という言葉がある。
やがて誰もが逃れることのできない「死」というものから「生」というものを見た視点のことである。
先日の、金子さんの死については記憶に新しく、知っている人も多いのではなかろうか。自分の死を覚悟し、自分の葬式に読んでもらう手紙を自分で用意し、ユニークあふれる内容で参列した方々や、報道したメディアを通じて様々な反響があった。

日頃生きている中で、なかなか「死」を自分ごととして意識するシーンはそうない。私自身、いつ死んでもこの世界に悔いはない!なんて胸を張って言えるような人生を歩んできているわけでは当然なくて、今死んだら後悔するだろうなという生き方しかできていない自分自身に引け目すら感じてしまっている有様です。

「メメント・モリ」という言葉があるのをご存知でしょうが、人間遅かれ早かれいつか死ぬ、ってのに日常生活の些細なことで腹を立てたり、バカバカしいなぁと思いつつも、違う方面から見ると、だから人間らしいのだ、と思ったり一体何が正解なんだと思ったり。

なんだか書いている内容が良くわからん内容ですが、小さなことでクヨクヨしていたらアカンなぁと感じる今日この頃です。

しかし、話は変わるような変わらないようなですが、先日下記のような本を読みました。

ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎、というタイトルだが、内容を引用させてもらうと以下、

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地球上に生命が誕生してから約20億年間、生物は死ななかった。ひたすら分裂し、増殖していたからだ。ではなぜ、いつから進化した生物は死ぬようになったのか?ヒトは誕生時から「死の遺伝子」を内包しているため、死から逃れることはできない。「死の遺伝子」とはいったい何なのか?死の遺伝子の解明は、ガンやアルツハイマー病、AIDSなどの治療薬開発につながるのか?細胞の死と医薬品開発の最新科学をわかりやすく解説しながら、新しい死生観を問いかける画期的な書。

———–

という内容だ。

ざっくりとした内容は上記だが、この本の中で衝撃を受けたのが「細胞の自殺」というものである。僕自身は、当然ながらこんな分野・業界のことなんて知っているはずもないので、ひょっとしたら業界では常識のことなのかも知れないが、これを知って驚いた。

細胞の「死」には2種類があり、ひとつは何らかの外的要因があり、死に至るケース。人間レベルで考えると、事故を起こして頭を打ってしまって、死に至る、などだろうか。そしてもうひとつが「細胞の自殺」である。

まるで、周りの細胞から「あなたはもうこの体にはいらない存在なんだよ」と言われているかのようだ、というニュアンスのこと(間違っていたら失礼)を本書は書かれており、近年の若者の自殺率の高さをふと思い出してしまった。

 

まぁ今日のブログ何が言いたいのかわからないのでこのあたりで、一旦ストップ。
死生観や、そこらへんのことも書きたいのですが、それはまた次回。

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